静岡バス置き去り事件の初公判で思うこと

4月23日

2022年9月に起きた静岡・園児バス置き去り事件について、元理事長と元クラス担任の裁判が行われたとのことで思うことを….

まず、3歳の女の子の尊い命がなくなったということに対し、本児の苦しみ、家族の苦しみを考えるとただただ悲しい気持ちになる。命は戻ってくることはなく、家族の傷も生き続けていく限り癒えきることはない。その事実を前に、私はただ家族の苦しみが和らぐことを、そして3歳の女の子の魂がいつも家族と共にあることを祈るしかない。

次に保育を行う者として思うことを、

  • 元理事長と元クラス担任ともに起訴内容を認めている。過失は当然あると感じている。実名も出ていることから、社会的制裁もこれから受けていくだろう。どうか逃げずに犯した罪に向き合っていってほしいと思う。
  • 行政は責任を負わなくていいのか?ということ。3歳の女の子の命が失われたのである。「当園が全て悪いです」で済ませていいのだろうか。適正に監査・指導は行われていたのか?そもそも運営を任せていい園であったのか?改めて考えてほしいと思う。
  • 「自分の職場は大丈夫?」ということ。ヒューマンエラーは起きるものである。完全に0にするということは困難を極める。それでも利用者は自分たちを信じて、我が子を他人の我々に預けているのである。その責任を常忘れてはならないと思う。
  • 人手不足、賃金問題について。自分の財布の勘定だけでなく、行政も会社も本当に考えてほしい。私は子どもは未来そのものだと考えている。その子供を現場で責任をもって毎日見守る職員がより心に余裕のある、より子供と向き合える、そんな世の中を目指しませんか?

長くなりましたが以上です。3歳の尊い命に、ご冥福をお祈り申し上げます。

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